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豪商・塩屋清五郎(3代目)・岩城穆斎にまつわる火魂伝説-1/2

 御祓川の仙対橋の西橋詰の南(上流側)(現在の中山薬局本店のあたり)には、江戸時代中期以降・海鼠を主として海産物を扱ってた廻船業の豪商・塩屋家(姓としては岩城家)の屋敷がありました。(当時は御祓川左岸には川に沿った道はなく、塩屋家の屋敷横は河岸で、艀(はしけ)が横づけできて荷を降ろされる階段状の河岸があったと考えられています。

 元々岩城家は越前大野の家でしたが、岩城家初代の岩城融源は戦国後期の戦乱の禍を避け、能登に移住してきて寛永7年(1630)に所口町(今の七尾)で没したと言われています。所口町に居を定めたのは2代久安(又は久庵)からで、その後、宗円、久円と続き、宗悦(令徳)に至って、初代・塩屋清五郎を称したそうです。

 商いは海産物を広く扱っていたようですが主力商品は海鼠関連の商品で、※煎海鼠(いりこ)などは長崎で中国向けに大量に捌いてたらしく、その巨利に幕府も注目するほどの勢威だったようです。

 そのように非常に繁盛し余裕があったのでしょうか、この家の当主は代々学問に精通した文化人を何人も輩出してきました。

 そういう御祓地区を代表する文化人なので、今までにも紹介しようと思いつつ、サラリと書いて簡単に終りにも出来ないような感じがあったので、なかなか採り上げられないでいました。

 今回は、書かれた内容からいって実際にあった事件を基にした怪異伝説のようです。当時の塩屋家当主は3代目塩屋清五郎こと岩城穆斎(ぼくさい)(延享4年(1747)~天明8年(1788))です。彼は30歳の時に京都の有名な学者・皆川淇園(みながわきえん)のもとで経書を10年学び、帰ってきてから自分の屋敷で家塾・臻学社(しんがくしゃ)を開いて師弟に教授しました。その評判は高く、誰言うとなく、「所口の賢人」と称せられそうです。

 塩屋家(岩城家)については、今後も折に触れ紹介していきたいと思います。

※煎海鼠(いりこ):干し海鼠(なまこ)のこと。内臓を除いた後に海水あるいは薄い塩水で煮て乾燥させたもの。中華料理の材料となる。能登のナマコは古代より特産品として知られる煎海鼠は、干鮑(ほしあわび)・鱶鰭(ふかひれ)と共に俵物三品として長崎貿易における中国への重要な輸出品であり、流通は幕府の規制を受けた。

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