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御祓地区出身の文化人 ~鷹樹英弘~

昭和初期に活躍した七尾出身の詩人・鷹樹英弘(1894~1936)

鷹樹英弘

 昔々定期刊行されていた「能登‘69.7」(能登往来社発行・能登第3号)の中に、七尾出身の詩人・文人である相川龍春(相澤道郎というペンネームでも活躍)が鷹樹英弘について記した記事があったので、地元御祓地区出身ということもあり、紹介したい。
 この記事を書いた相川龍春も同じ早稲田大学出身で鷹樹の後輩に当たり、年齢もよく似て、ともに詩をよく作った同郷の二人は、早稲田大学内でも顔を会わせる事が多く、よく付き合っていたそうだ。そういう関係もあり、鷹樹氏の記事を書いたようだ。

 さて本題。鷹樹英弘だが、本名は高木秀博、明治44年5月11日生まれ。生家跡は、亀山町25番地とあるから現在の真舘米穀物商店と大野木邸の間の家の位置になる。
 県庁努めの延次郎の長男として亀山町に生まれたが、幼い頃、その父親の金沢への転勤に従い彼も金沢へ移ったらしい。
 大正13年3月金沢市立新竪町小学校卒業、同年4月石川県立金沢第一中学校入学、三年の時、次弟とともに遠く朝鮮に旅行したこともあるという。異郷風物は、夙(つと)に文学への芽を蘇生したようだと、相川龍春は書いている。その辺りの事情を本人から聞いていたのかもしれない。

 昭和4年3月同校卒業、厳父に伴われ宮崎、新潟を転々とする。昭和6年4月、早稲田第二高等学院文科へ入学。昭和8年4月早稲田大学文学部英文科に進む。
 そして「早稲田英文学」の編集に従事していたようだ。
 さらに文学にて志を立てんとする気持ちが強く、雑誌「記録」の同人となり、「迎蛆行」「夜明け前」「血」「扉の音」の4篇の詩篇のほかに、小説なども発表したようだ。
 翌昭和9年「早稲田文科」に移り、その年行った台湾旅行を基に「米袋を縫ふ女」「西門市場」「果樹園の葡萄」「亡命の歌」「湖畔の蕃地」を発表した。合わせて9篇が豪華版詩集『蛆』(1935)となって刊行された。「強烈な批評意識が全篇を貫く」本だそうである。1936年、卒業と共に病が革(あらた)り急逝。
 私はまだ見ていないが、相川龍春の『わが心の七尾の詩人』(能登印刷・1983)にも詳しいことが書かれているそうだ。

≪参考図書≫ 「能登‘69.7」(能登往来社発行・能登第3号)

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