町名のアレコレ
- 歴史・文化・景観
- 2021年7月17日
加賀藩祖・前田利家の能登入国から七尾の都市開発がスタートしました。
御祓川を中心に七尾湾に向かって、右側の町並みが鍛冶町、塗師町など袖ケ江地区の職人町。そして、左側が米町、魚町など御祓地区の商人町が形成されています。町並みは碁盤の目のように区画され、防衛上の理由から道路は、要所がクランク状に曲げられ、城下町の面影を残しています。
所之口町境絵図(元和二年)を見ると、亀山町は「みそや小路どをり」と記載され、当時は、味噌屋町の町名でした。今でも、米町のことを「コンマチ」と呼ぶ人がいるのは、江戸期に「紺町」と書かれていたため、それが言い伝えとなっています。
また、昭和25年9月には、土地の名称及び地番変更があり富岡町の一部が魚町になったり、昭和40年に海面が埋め立てられて桜町が誕生したりと、時代とともに変化を続けています。
当時の町名の由来やその移り変わりを詳しく知りたい人は、8月開催の「古地図で楽しむ昔のまちなか(江戸時代編)」にご参加ください。
日 時 8月7日 (土) 10:00~
場 所 御祓地区コミュニティセンター
講 師 のと里山里海ミュージアム 館長 和田 学 氏
参加費 無料
※事前申し込み必要
申し込み先 御祓地域づくり協議会 電話53-0821