戦後間もない石川国体 相撲競技七尾会場
- 歴史・文化・景観
- 2021年10月19日
ちょうど74年前の昭和22年(1947年)10月に石川県で第二回国民体育大会が開催されました。敗戦後、すぐに大規模な大会を誘致できた理由は、大きな戦災にあっていなく、農業県のため食料の確保ができ、宿泊施設が多くあったためでした。
金沢会場を中心に、七尾市は相撲(小丸山城址公園)、軟式テニス(同公園横)、ヨット(七尾湾)の3種目が会場となりました。相撲競技を誘致できたのは、七尾市出身の国会議員である大森玉木さんが相撲愛好家である縁もあったのだろうと思います。
会場は、小丸山城址公園内の愛宕山相撲場。しかし、大勢の観客が収容できないため、民有地を買い取り、公園一部を削って面積を広げることにしました。昭和22年7月に起工し、開催直前の10月に完成。総工費は、当時の費用で76.8万円です。収容観客数は9千人と資料に載っていましたが、現地を見る限り、どうしたら9千人も観覧できるのか謎です。
その後は、全国高等学校総合体育大会や全日本大学選抜相撲七尾大会などの大規模大会が開催されました。国体会開催を機会に七尾の相撲文化が根付いたのかもしれません。
出典 新修 七尾市史 教育文化編、七尾のれきし、図説七尾の歴史と文化