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[シリーズ] 御祓のお宮さん、お寺さん No.7 寶塔寺 

 曹洞宗 瑠璃山 寶塔寺(七尾市馬出町)
 この寺は小島町の山の寺寺院群にある長齢寺の末寺にあたり、通称「薬師さん」とも呼ばれています。長齢寺を開基の大透圭徐は元々は越前の禅寺・寶円寺の住持でしたが、利家が越前府中城にいた頃、圭徐と出会い関係が出来、1581年(天正9年)利家が信長から能登一国を与えられると、母の菩提を弔うための寶円寺(後に長齢寺と改称)を今の西光寺の敷地に建立しました。そしてここの住持(寺の長)として招かれたのが圭徐であり、そのお供として一緒にやってきたのが後に寶塔寺の開基となる用山傳徐(伝徐)です。圭徐が1598年(慶長3年)亡くなると、傳徐が二世寶円寺の住持となりました。そんな傳徐がまだ寶円寺にいた頃、後に寶塔寺の本尊となる薬師如来が藤橋の地で掘り出されました。
 曹洞宗石川県宗務所のHPを調べてみると、この寺のご本尊・薬師如来像はかつて七尾国分寺に安置されていたものであり、上杉謙信が七尾城を攻撃した時国分寺も焼討ちに遭い、その折信者が近くの山に埋めたのが年月が経ち掘り出してお奉りしたのが当寺の始まりと書かれています。本尊薬師如来は鎌倉時代の作で途中1度修理した形跡があるそうです(彦根文化財資料館長による七尾市文化財調査による)。


 また又庭にある手水鉢(石)は元禄15年の作と云われています。(年字彫り込みあり)
この寺は、十八世本宗禅師が住持の時には、遠州の秋葉権現の霊を勧請し、以降 七尾町の火防鎮護の名刹として知られるようになりました。毎年正月三日を火祭日とし参拝する者が多かったといいます。特に湯屋業者の信仰が厚かったそうで、七尾市内の銭湯業の方に聞いてみると、20年位前までは銭湯組合のメンバーで揃って正月始めにお参りするのが恒例だったそうです。
 江戸時代、ここの梵鐘は「薬師の時の鐘」と云って、奉行所より鐘撞き料として年間拾石の米を貰って時を知らせていたそうです(その時の鐘は明治28年の時の大火で焼失)。
 また1877年(明治10年)、この寺の境内の一画を借りて、七尾の医師・安田元吉らが尽力で能登初の近代的病院・金澤病院七尾出張所が設置されたということです。元吉は石川県で最も早く(安政元年(1855))種痘を行った安田元蔵の長男で、1882年(明治15年)、七尾医師会の前身となる鹿島郡医師組合を設立し、初代会長にも就任しています。他にも教育に非常に尽力し、七尾の教育界の礎を築いた人です。
この寺には他に、能登七尾地蔵尊霊場第十五番札所や七尾新西國三十三所観音霊場第六番札所にも選ばれ、昔は地域の人々の信仰を集めていたようです。

(主な参考図書など)
『新修七尾市史』、『石川縣鹿島郡誌』、『七尾歴史散歩百選 新七尾風土記』(田中政行著)、七尾医師会のHP、曹洞宗石川県宗務所のHPなど

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