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能登の盗賊改方に関して

(契 機)
元禄3年(1690)3月16日金沢で900軒焼失する火事があり、翌17日未明再び出火し、6,339軒もの家が焼け、2日間に7,539軒もの家が焼失する大火になった。その上、1週間後の27日313軒の火事があり、金沢町民を脅かした。
しかも火災原因が火付けであった事や、火事場泥棒が横行するなど治安が大いに乱れた。この件を重視した藩では、翌年元禄4年(1691)盗賊改方の職を初めて設けました。

(加賀・越中・能登にそれぞれ1人の盗賊改方)
この時、任命されたのは、
・加藤十左衛門(加州・450石)
・村上助右衛門(能州・500石)
・井上久太郎(越中・400石)の3名である。 
江戸の火付盗賊改(鬼平こと長谷川平蔵など)と同じく、いずれも加役である。
村上助右衛門は口郡に在住を命ぜられているので所口に住んだと思われる。
なお同年3月には、准盗賊改の職が置かれた。
湯原源七郎以下6名。いずれも御馬廻組1500石以上の上士。

(奥能登の盗賊改方は所口町奉行が兼務)
奥郡の方は所口町奉行が盗賊改の任務を行った。『藩国官職通考』には、能州は井上久太郎が任命され、享保6年(1721)12月由比孫兵衛昌清の死亡後、この役が任命されなかったとしている。「能州所口後例集」に村上助右衛門が任命されたとあるので、村上の方が適当と考えられる。

(盗賊改方1人-与力2人、足軽30人+情報提供者)
盗賊改奉行が単に火付悪党や盗賊を取り締まるだけでなく、風俗一般の取締(遊芸の者や無用の品物を売り歩く者など)や、無宿・浪人らの人別取締り、藩士の不正まで取り締まった。
取締りや捜査活動には、与力2人・足軽30人の家来を持つのみならず、情報提供者として藤内などの被差別民を利用したのである。 
なお、所口町近辺の情報提供者として利用された藤内には、その出自が元畠山家の家臣で前田家能登進出時に敵対した勢力であったがために、そのような境遇になった者が多くいた事なども分かってます。

(所口町奉行所)
最後に補足的に町奉行所について少し述べます。
所口町奉行所の場所ですが、当初は決まった奉行所はなく、各奉行がそれぞれ宿を決めて町奉行所として町政に当たっていました。
初代の三輪藤兵衛の時代は勿論ありません。
その後、幕末に違い文政5年(1822)になってやっと、野村隼人の代に御貸屋を直し、町奉行所として執務するようになったようです。
また加賀藩内における遠国町奉行所ですが、小松、所口(七尾)、魚津、高岡の4町にありました。藩都以外の領内の町4箇所にも町奉行所があったのは加賀百万石ならではの事で、多くの藩では藩都たる城下町にでさえ、単独の町奉行所を置けないのが現実でした。
奉行所では、町政一般を司りますが、延宝4年(1676)の所口町奉行勤め方によると、租税・小代官・宗門改・御詰米・御産物・交通・交易のことなど18ケ条にわたっています。
更に上でも述べたように、所口町奉行は奥能登盗賊改方も兼帯し、能登全般の治安にあたるので、輪島・飯田・宇出津・中居に在住した小代官・足軽を掌握するとともに、能登4郡の御普請道具や他国へ出る者の船切手なども出していたので、所口一般のほか、能登4郡を支配する面もありました。

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