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源順(みなもとのしたごう)(911~983) -1/2

平安中期の貴族・歌人・学者あり、能登守で生涯を終えた人物はどのような人であったか?

 源順(911〜983)は、平安中期の官人で、延喜11年(911)に生まれる。父は嵯峨天皇の子源定の孫源左馬助攀(こぞる、又は、あがる)(みなもとのさまのすけこぞる)の次男。従五位上、能登守で終わった(亡くなったのも能登の地でなくなり、たぶん七尾近辺のどこかに埋葬されたと想像される)。当時一流の学者(漢学者)で、平安中期の歌人、三十六歌仙の一人、また「梨壷の五人」の中心的人物でもある。梨壷とは古代の撰和歌所を梨壷に置き、勅令により万葉集に訓を付けた場所であって「梨壺の五人」とは、源順・大中臣能宣(おおなかとみよしのぶ)・清原元輔(きよはらもとすけ)・紀時文(きのときふみ)・坂上望城(さかのうえもちぎ)である。天暦5年(951)村上天皇は、この5人に『万葉集』は漢字のみで書かれていて読みにくいので、訓釈するように命じ、大部分の歌に訓点が加えられたのである。

 このときの源順の身分は学生(がくしょう)である。

 また源順は『後選和歌集』の撰者ともなった。歌は歌人としての才能より、漢詩文に優れ、作品には※1『本朝文粋』『拾遺和歌集』『扶桑集』などに収められている。以下の勅撰集以下の勅撰集には、51首の和歌が収めれ、入集歌が多数ある。家集に『源順集』がある。それから辞書『倭名類聚抄』の編集があり、※2『古今和歌六帖』も彼の編集と考えられ、また『宇津保物語』『落窪物語』の作者に擬せられているという。

※1『本朝文粋』は、平安時代の漢文総集で、当時の文章博士(もんじょうはくし)・大学頭藤原明衡(あきひら)編集によるもので、嵯峨天皇の弘仁2年から後一条天皇の長元年間(810〜1036)までの約200年間の漢詩の名作429編を、中国の梁の昭明太子の編集した『文選』にならい、39類に分類している。作者は小野篁(たかむら)・都良香(みやこよしか)・菅原道真・三善清行(みよしきよつら)・紀長谷雄(きのはせお)・大江朝綱(おおえともつな)・源順ら6、7人で、うち菅原・大江両家のものが、もっとも多く、紀家がこれに次ぐ。

※2『古今和歌六帖』は、4600首余りの和歌を500余りの題に分類し、それを25項にまとめ、さらに6帖とした『類題和歌集』のことで、大部分は万葉・古今・後撰集の三集から抜粋した歌である。博学多識は「梨壺の五人」の中でも随一の実力で、当時一流の学者でもあり歌人でもあった、源順が編者の説が最有力とされている。

 承平4年5年(934−935)頃、母が仕えていた勤子内親王(醍醐天皇第4皇女)の命に応じて、若干20歳の若さで※3『倭名類聚抄』を奉っており、和漢に亘る学才を既に備えていた。学生字(がくしょうあざな)は源階、唐名は真峡と言った。

 天暦7年(953)に、※4学生(がくしょう)から文章博士に任じられ(43歳)、天暦10年(956)には従六位下に叙せられ、同年、勘解由判官に就任。

 天徳3年(959)源順は、大江維時、橘直幹などの漢詩文の大家、清涼殿の詩合に出席する。応和2年(962)には民部少丞・兼東宮蔵人、応和3年(963)には正六位下、民部大丞に昇進した。

 康保3年(966)従五位下、下総権守となり、同年、「源順馬毛名合(うまのけなあわせ)」を主催。翌年(967)には和泉守に就任した。

※3『倭名類聚抄』は、普通略して『和名抄』と言う。『新撰字鏡』(僧昌住著)に次ぐ我国最初の分類漢和辞書であって、承平4年(934)頃成立した。天地・人倫・疾病のように、24部に分け、さらに、人倫部なら、男女・父母・兄弟類というふうに全部で128類に分け、ここに属する漢語を挙げて漢文で説明の上、その和名を万葉仮名で注記している。10巻本と20巻本があり、後者は、後の人が増補し、平安後期に完成した。

※4:学生(がくしょう)について→律令時代の大学の主要学科で、歴史が主で、中国の詩文や史書を学び、教官として博士2人、学生20人が厳しい試験を経て選び受講させる。ただし、博士は菅原と大江の両家にかぎられていた。

 初の国守になり、張り切っていた安和2年(967)源順は、突然和泉守を解任された。それから11年の長きに亘り無役の時をすごすのである。当時栄華を誇っていた藤原氏一門でなく、嵯峨源氏というノン・エリートであったことが影響したようだ。天禄3年(972)、「規子内親王前栽歌合」で判者をつとめる。『古今和歌六帖』は、天延(974)から天元(977)頃の成立といわれるから、無役期に編集したものと想像される。

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