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御祓地区ゆかりの文化人 ~西田幾多郎~ 1/2

明治期~戦前の日本を代表する哲学者(1870年~1945年)

御祓地区ゆかりの文化人 ~西田幾多郎~ 1/2
 明治期~戦前の日本を代表する哲学者(1870年~1945年)

 哲学者の西田幾多郎が、石川県出身者であり、彼が七尾に一年も居た事をしる人も多いかと思う。故郷の津幡町には新しい記念館も建てられ、多くの人が訪れているから、皆さんの中にも行った事がある人は多かろう。彼の著書で岩波文庫の難解な『善の研究』が発行とともに大ベストセラーになり、書店の前に多くの人の行列が出来たというのは有名な話だ。今なら考えられない話だが。

 幾多郎が京都大学退官の際、自分の人生を振り返って述べた次の言葉は有名だ。

 「私の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして坐した、その後半は黒板を後にして立った。黒板に向かって一回転をなしたと云へば、それで私の伝記は尽きるのである」

 その「黒板を後ろにして立つ」教職者としてのスタートが実は石川県尋常中学七尾分校であった。幾太郎は、明治27年7月東大文科大学選科生を卒業し、すぐ金沢へ帰り、親戚の家で(後に妻となる寿美の実家で)しばらく寄寓し職を探すが、なかなか就職できなかった。

 明治28年4月、漸く、石川県尋常中学七尾分校に、分校主任教師として月給45円で赴任。倫理・英語・歴史の3教科を担当した。

 校舎は、七尾高等小学校を仮校舎として開校した(生徒は1,2年合わせて88名)。場所は、現在のパトリアの辺り(昔、七尾市立小丸山小学校御祓教場、七尾市立御祓小学校のあった場所)。しかし開校間も無く、明治28年4月29日の七尾の大火で類焼。

 この頃、幾多郎は生来真面目だったので、教育方法に悩み(四校時代の同級生)山本晁水(山本良吉)宛の手紙に次のように書いている。
 「小生は唯童子を対手に、いかにして教育すればよきと、日夜苦心いたし居り候。最も方法に困り候は、倫理に御座候。大兄何かよき考も御座なく候か。どうも始めの中は理論を云ふても無益と存じ候。何かよき参考の書もなきや。(※1)松陰や(※2)東湖いかにして天下の名士を陶冶(とうや)せしや。新島(同志社を創設した教育者・新島襄)先生の伝は有益なる書にあらずや。人物陶冶の法は今の自称教育者の説よりは古人の塾則などを見る方よろしからんや」
※1:幕末の長州藩志士・吉田松陰
※2:幕末水戸藩の儒学者・藤田東湖。水戸斉昭を補佐した事で有名

 倫理学の教師として幾多郎はこうも書いている。
 「小生倫理の古来の行儀主義をとらず。唯(ただ)、敢進有為(あえてゆういにすすむ)の人を養ふにあり、mooto(モットー)は丈夫玉砕恥瓦全にあり。ちと過激なるか」

 校舎類焼後、中学の授業は小島町の竜門寺、徳翁寺、長齢寺を借りて行うこととなった。

(参考図書)
 『祖父 西田幾太郎』(上田久・南窓社)
 『西田幾多郎 人と思想』(下村寅太郎・東海大学出版会)他

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