御祓地区の「御祓」の名の由来
- 歴史・文化・景観
- 2021年6月5日
⚫御祓川の名の由来
史料での「御祓川」の初見は室町時代の応仁の乱が終わった年の翌年・文明10年(1478)に能登に来遊した連歌宗匠・飯尾宗祇(いいお・そうぎ)の『宗祇句集』
「言(こと)の葉も この輪を超えよ 御祓川」という連歌の中に見える御祓川です。
宗祇の句の中の「この輪」とは茅の輪くぐりの茅の輪のことです。旧暦晦日(みそか)に能登生国玉比古神社(気多本宮)が司祭した「夏越(なご)しの禊(みそぎ)」または「夏越しの大祓(おおはらい)」で使われる茅の輪です。この夏越の祓いは、近年、御祓川でもまた復活して行われるようになりましたが、蘇民将来の伝説に由来する全国的に行われている行事です。
⚫御祓川以外の別称
江戸時代には、御手洗(みたらし)川、晦日(ひづめ)川、二俣川(ふたまた)川の別称もあり、俗にはそちらの名で呼ばれていたようです。
また明治以降、捨越(すてごし)川とも俗に呼ばれていたという文章も残っています。
⚫ 御祓地区という地区名はいつ頃から?
地区名は勿論 地域を流れる御祓川から採ったと思われます。ただし江戸時代には地区を表す地名としては使われた例は見当たらず、明治、大正の頃も地区名としては調べた限り見当たりません。昭和以降になって御祓小学校や御祓中学校など学校が出来て、学区も設定されるようになってから使われだした比較的新しい地区名と考えられます。
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