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日露戦争と石川県(その1)瓜生外吉指揮の第4艦隊

 日本が日露戦争に先立ち、ロシアに対して国交断絶を宣言したのは1904年の2月7日です。佐世保に集結した連合艦隊主力は翌日6日、旅順を目指して出航したが、翌7日、仁川(現韓国の黄海側にある港)に上陸予定の陸軍先遣隊を載せた輸送艦を護衛して第4戦隊(瓜生外吉少将)が出航した。8日、仁川港内にいた駆逐艦「千代田」を救出し第4戦隊に合流させると、陸軍先遣隊は第4戦隊に見守られ無事上陸。

 仁川港内には英米仏伊の軍艦もいたので、日本はこれらの艦艇に期限付きで港外退去を求めた後、港内にいる露軍艦の「コレーエツ(砲艦)」と「ワリヤーグ(巡洋艦)」を港外で待ち構えた。2月9日正午前仁川港から出てきた2艦を第4戦隊は距離7千mから砲撃を開始。まもなくワリヤーグは火災を起こし港内に引き返し戻りコレ―エツもこれに続いた。ワリヤーグは結局転覆し、コレーエツも自爆自沈し、初戦は日本側の圧勝に終わった。

 後の対馬沖の海戦でも、日本の連合艦隊は露艦艇に対してその攻撃の練度の差を示したが、距離7千mも離れていてすぐ命中させる練度は当時としては相当の高さであった。翌日2月10日、日本はロシアに宣戦布告し、ロシアも日本に対して宣戦布告し、ここに国を挙げての戦争となった。

 この戦いを指揮した司令官・瓜生外吉少将(後に大将)だが、彼は若き日に加賀藩の七尾軍艦所の語学所でお雇い外国人教師パーシヴァル・オーズボンから学んだ秀才達の一人でした。彼はこの口火の戦いで見事に勝ち日本の緒戦の戦いに勢いをつけることになった。 

瓜生外吉は若き日、加賀藩七尾軍艦所内にあった語学所でお雇い外国人パーシヴァル・オーズボンから英語を学びました。この語学所のオーズボンの弟子たちからは、その後の日本で大活躍する俊才が数多く巣立ちました。

※ 瓜生外吉(1857〜1937)

   大聖寺出身。大聖寺藩瓜生吟生の次男。軍人。七尾語学所の後は、中学東校小学所(従来の藩内の洋学校を全て併合)の訓蒙を命じられた。米国のアナポリス海軍兵学校に留学。日清・日露の両戦役に勲功を立てる。大正元年海軍大将に昇進。又、繁子夫人とともに生涯アメリカのよき友人として日米親善に力を尽くす。貴族院議員。

 仁川沖の戦いについては、ざーっとガイド代りに外観するにはWikipediaなど参考にするのがいいかと思います。

七尾軍艦所は今のPSコンクリートの工場敷地あたりにあったと考えられています。

 なお「日露戦争と石川県(その2)」では石川県出身者の兵が所属した第九師団(司令部・金沢市)について書きたいと考えています。乞うご期待!

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