御祓地区出身の文化人 ~藤澤清造~ 2/2
- 歴史・文化・景観
- 2021年10月10日
小説家・劇作家・演劇評論家(1889~1932)
小説家としては、『根津権現裏』が唯一の単行本であるが、大正期の人生派文学の作家と位置づけられる。
横川巴人(七尾市一本杉町出身)は、この作品に大しても結構酷評で「内容もひどく藤沢の性癖から出た文脈で、一口に言えば自然派風の私小説というものだから、広く読まれる通俗性がなかったともいえる。」などと書いている。
藤沢清造は、一般には有名ではないが、文壇で「ダラ言葉」を流行らせたり、文壇の著名人を誰彼問わず訪ね周り、当時文壇では一種名物男であったという。
交友した者の中には、郷土を同じくする室生犀星、徳田秋声、尾山篤二郎(金沢出身の歌人・国学者)、横川巴人の他に、北原白秋、今東光、久保田万太郎など著名な作家なども沢山いたようだ。
だがその一生は極貧の人生でもあった。彼の極貧の生活の有り様は、横川巴人の『夢』などにも書かれている。
昭和28年(1953)7月最初の追悼法要が彼の墓がある西光寺(小島町ハ148・西光寺(浄土宗))で営まれた。墓標は質素な木でできたもので、尾山篤二郎が書き、吉田秀鳳(七尾市出身の彫刻家)が刻って有志の手で行われたそうだ。亡くなってから21年経っての法要であった。
2006年、清造研究家で作家の西村賢太氏の自伝的小説『どうで死ぬ身の一踊り』が、第134回芥川賞の候補作に選ばれるが惜しくも受賞を逃したが、同氏は2010年に『苦役列車』で見事第144回芥川賞受賞をした。
また西村氏は、藤澤清造の全集の編集も個人的に進めており、その激烈な私小説『どうで・・・』の中で、主人公に繰り返し強い共感を語らせてきた。
この西村氏のお陰で久々に「知られざる作家」藤沢清造の生涯に注目が集まった感がある。
西村氏が平成13年(2001)に復活させた清造忌の法要以後、毎年西光寺で清造忌は行われるようになったようだ。
《参考図書》
横川巴人『夢』(横川巴人会 昭和44年11月発行)
『石川県大百科事典』(北國出版社) 他ネット検索など