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御祓地区出身の文化人 ~杉森久英~

小説家(第47回直木賞作家)・評論家 (1912年~1997年)

七尾市の白銀町の家(現在は一本杉町。前田リフォーム店となっている家)で生れ、金沢に移るまで一本杉町の住居(現在一本杉公園(木下酒店隣)の敷地に家があった)で育つ。
 没落士族の出で芸者であった義理の祖母と、小学校の教員であった母との間に挟まれて育った。
 大正7年6歳の時 七尾尋常小学校に入学するが、大正11年の十歳の時、吏員を勤めて石川県属となった父の転任で金沢に移り住み、菊川中学校、金沢第一中学校(現・泉丘高校)、第四高等学校文科甲類(現・金沢大学)に学び、昭和9年東京大学国文科を卒業。
 東京大学在学中に第11次「新思潮」に参加、処女作『燎野(りょうや)』などを発表して早くから作家を志す。

 昭和9年東大を卒業するが就職できず、埼玉県立熊谷中学校の嘱託教員(国語)、中央公論社編集部、大政翼賛会文化部、日本図書館協会などを経て、戦後、河出書房(現在の河出書房新社)に入社し『文藝』の編集に従事し、1947年には『文藝』の編集部長に就任。

 河出書房で雑誌「文芸」の編集長を勤め、野間宏(ひろし)、中村真一郎ら第一次戦後派登場に貢献。

 昭和27年40歳の時に、デイヴィッド・ガーネットやフランツ・カフカの影響が色濃い異風の短編風刺小説『猿』を書き上げ、それが「中央公論」に掲載されて、翌28年に第29回芥川賞候補になる。
 文壇の注目を浴びたのを機に、もともとは作家志望だったので河出書房を退社し、文筆活動に入る。
 文芸評論、人物論、書評などにも筆をとるかたわら、諧謔・風刺小説を次々と発表した。昭和35年、毎日新聞夕刊に連載した『黄金バット』が、第42回直木賞候補になる。

 また昭和37年に、同郷(旧美川町で現・白山市)出身の作家・島田清次郎の生涯を描いた『天才と狂人の間』で第47回・直木賞を授賞。文壇での地位を確立した。

 以後『辻政信』(同じ石川県出身の陸軍参謀・辻政信を描いた)、『啄木の悲しき生涯』、『明治の宰相』『小説坂口安吾』、『小説菊池寛』、『近衛文麿』(第41回毎日出版文化賞受賞)、『苦悩の旗手 太宰治』、『東郷と乃木』、『大風呂敷・後藤新平の生涯』、『新渡戸稲造』など伝記小説を次々と発表。また料理人秋山徳蔵をモデルとした『天皇の料理番』のほか、『伝説と実像』(昭和42年)などで昭和史の発掘を試みる。日本ペンクラブの副会長を務めるなど幅広い活動をした。昭和60年、『能登』が平林たい子文学賞を受賞。この年、井上靖と七尾に来て産業福祉センターで講演会をしている。

 平成元年、長年の伝記文学に対する功績が認められ、勲三等瑞宝章を下賜させる。
 平成4年、七尾市名誉市民となる。
 翌平成5年、第41回菊池寛賞及び第46回中日文化賞を受けるなど文学賞は数多い。
 平成9年1月死去。

 郷土七尾市出身の輪島大士を描いた『天才横綱輪島大士物語』が最後の作品となった。

 「杉森氏の創作の信条は、その対象に対して徹底的に調べ、目と耳と足を駆使して納得の行くまで真実を求めることであった。その執念のような辛抱強い性格形成は氏が幼少期を過ごした厳しい北陸の風土とは無縁でなかった」(七尾市の「杉森久英記念文庫」のパンフレットより)

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