御祓地区ゆかりの文化人 ~島田清次郎~ 2/2
- 歴史・文化・景観
- 2021年10月23日
作家(1899~1930)
清次郎は、鹿島郡役所を勤めはじめてまだ数か月ばかりだったが、10倍の給料に否もなく、役所を辞めて京都へ出る。時に19歳。
がここも彼の傲岸な態度が嫌われ、生田長江(いくたちょうこう)への紹介状を携え、上京する。1918年(大正7年)『地上』第一部を脱稿、翌年生田長江の推挙で新潮社から刊行された。
内容は天才肌の少年(主人公)が社会に反抗したり恋愛する精神遍歴の姿を描いたもので、理想主義的な青年の共感を得て、大ベストセラーとなる。一時は「島清」という略称でも呼ばれるほど有名になった。
しかし続刊された第二部、第三部では概念的になり、未完に終わる。
1922年(大正11年)欧米を外遊、米国のクーリッジ大統領、英国ではH.G.ウェルズとも面会。
欧州旅行後は、文壇の中で傲岸不遜な態度に出て他の作家に嫌われたり、裁判沙汰になるような女性問題なども起こし、人気は急落する。
精神的にも安定性を欠き、奇矯な言動が目だつようになる。
ある日、巣鴨地蔵尊の近くで警察署員に職務筆門された時、暴言などをはいて巣鴨署に拘引となる。精神鑑定の結果、統合失調症と鑑定され、巣鴨の精神病院に収容される。
そのまま不遇のうちに精神科病院で没した(1930年4月29日(昭和5年))。
享年31歳であった。
彼の著作は、『地上』、『地を超ゆる』の他に短編集『大望』(1920)、評論集『勝利を前にして』(1922)がある。